兔和狼的旅游人生 兎と狼の旅人生


In 12 2011

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Category: 未分类   Tags: 上野  

上野

地形は、上野恩賜公園のある上野山が北区の方面から伸びる上野台地(武蔵野台地の分脈)の先端部分にあたり、正確には山ではなく台地である。上野山は標高20mほどの高さをもち、上野の街は上野山の東と南に開けている。上野台地の西には東京大学の位置する文京区の本郷台地があり、上野公園西南部にある不忍池はもともと両台地の間の谷(谷中・根津)を流れてきた谷田川(藍染川)が流れ込む場所に自然に形成された池である。現在では谷田川は地表から消滅し、不忍池も面積を縮小させている。

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上野山は、戦国時代には忍岡(しのぶのおか)と呼ばれており、元々江戸においては人口の少ない地域であった。

1603年に江戸幕府が開かれた頃、忍岡には、伊賀国上野を本拠地とする外様大名・藤堂高虎の屋敷が置かれた。


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後に徳川将軍家の菩提寺である寛永寺が建立され、門前町が開けた。この頃から、寛永寺付近の一帯を「上野」と呼ぶようになる。これは、藤堂家の所領である上野に地形が似ていたためと言われている。寛永寺には歴代将軍の墓も建てられ、江戸幕府から保護されたので繁栄し、それに伴って門前町の上野も発展した。上野寛永寺は、江戸城から見て陰陽道上の鬼門に当たり、京都の延暦寺(京都から見た場合は北東)に擬えた江戸鎮護の寺でもあった。

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「上野」という地名の由来には諸説有る。

一つは、藤堂高虎が、当地の地形が本拠地たる伊賀上野(いがうえの)に似ている点から「上野」と命名したという説。ただし、江戸名所図会によればこの説は間違いとされている。

もう一つは、小野篁が上野国(こうずけのくに。現在の群馬県)での任を終えて京へ帰る途中で、当地に館を建ててしばらく滞在し、その際地元の人が篁のことを呼んだ「上野殿」が地名になったという説。

题目 漫步人生路    博客分类 相片部落



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